令和の今、この船時計を見ると高級なおもちゃ的感覚を覚える方も多いのではないでしょうか。
実際、筆者が出会った時の印象は先ず可愛い、そして端正な顔立ち、小さめで場所を取らないお手頃なインテリアだと感じました。ところが、この船時計のことを詳しく調べてゆくうちに大変重要な役割を担った貴重な逸品ということが判明したのです。
一体どんな時計なのでしょうか?筆者と共に明治の時代へタイムスリップしてスタンダードとして活躍した船時計の真実を掘り下げて見ましょう。
きっかけは日本での定時法導入
江戸末期から明治最初期にかけて、日本は従来の時間の概念を一新する定時法を採用することに決めました。
それまでの不定時法(日の出と日の入りを目安に時間を区切る方法。夏と冬では昼間と夜の時間を区切る長さが違う。)を廃止し、西洋に習った定時法(昼と夜の長さに関わらず一日を均等に24分割する方法。)を取り入れることにしたのです。
日本全国全てがこれに習い、定時法による時間の管理がはじまりました。
今まで当たり前に使用していた和時計は不定時法対応なので、新しく定時法に準拠した西洋時計がにわかに必要とされました。しかし、当時の輸入時計はあまりに貴重で高価なものであった為、その数は極端に少なく明治初年では僅か1,000個強しか日本に入ってこなかったそうです。
その後も高嶺の花であった時計は、約20年間に渡り公共のシンボルから脱することなく、庶民に普及するには国産時計の誕生を待つ以外にありませんでした。舶来の船時計も例外ではなく公共機関のスタンダードとして活躍したのです。
蒸気機関車に採用したセス・トーマス船時計
明治時代、時計を必要とした最初のニーズは、役所と交通機関でした。その中でも、庶民の交通手段として蒸気機関車のダイヤを管理することが最優先課題でしたのでいち早く機関車にスタンダードとして据え付けられたのがアメリカ セス・トーマス社製の八角形船時計でありました。
蒸気機関車は乗り物ですので、振動や傾きが生じます。
振り子式時計は静止状態で使用する時計なので乗り物への使用は出来ません。ですので機械式腕時計で現在も使用されている機構のテンプ式時計(ヒゲゼンマイで動く時計の心臓部を持つ時計)の掛け時計ならあらゆる角度で動き続けることが可能ですので、乗り物に最適な船時計の需要が高まったのでした。そうした背景で先ず一番乗りを果たしたのがセストーマス社の船時計だったのです。
筆者の船時計のご紹介
筆者の持つセストーマス船時計は、最初期のものではないのですが紛れもなく明治時代の当時貴重品であった公共のシンボル的存在に間違いありません。
アメリカ製というよりは、雰囲気的にはヨーロッパテイストを感じる風貌。12時下に配するセコンドダイヤル(秒針文字盤)が可愛らしく、真鍮のリングで囲まれており、アクセントか効いています。
長針短針は、標準時計に多いスペードハンド(スペード形の針)、文字盤の数字はローマ数字で端正な顔立ちです。ケースは丁寧な貼り方で桜の皮が貼られ、当時の高級品を感じさせる作りとなっています。
時報の音色は甲高く、チンチンチンと時間の数だけ鳴らします。この音を聞くだけでも所有する価値があると筆者が感じるほど愛らしい音です。
明治の当時は貴重なスタンダード(標準)時計であり、真面目一辺倒な存在だったでしょう。しかし、クオーツ時計や電波時計が普及した現代で、未だ稼働する時代の生き証人たる船時計はとても愛おしく可愛い愛玩すべき存在に変わりました。
日巻時計なので毎日巻きます。面倒臭がり屋さんには不向きかもしれません。でも考えてみて下さい。ほっといても動く時計と、巻いてあげなければ止まってしまう時計のどちらに気を配りますか?
気を配る、心を砕く、これは愛玩の出発点です。巻くことで動き出せば愛着が生まれ傍らに置きたくなる、船時計は貴方のプライベート空間で、忠実なしもべとなって共に動いてゆく存在になるかもしれません。、どうぞこの機会に一台お手元に置かれてはいかがでしょうか。
まとめ
明治時代の定時法採用により、にわかに必要となった標準時計。なかでも交通機関の時間管理にスタンダードとして採用されたのが船時計なのでした。
一番乗りはセス・トーマス社製八角船時計。ヨーロッパ的な風貌ですが可愛い逸品です。時報チャイムも愛らしく未だに時を正確に刻みます。
明治の時代、船時計は高嶺の花。庶民に出回ることなどあり得ない、公共のシンボルでした。そして時刻を正確に管理するスタンダード的な役割を果たし、やがてその役目を終えます。
令和の今、愛好家の手元で美しく光り続ける船時計。お読みになった貴方も船時計を愛玩したくなったのでは?幸いにも市場ではまだ幾つか残っていて比較的安価で購入できます。筆者は約2万円で5年前に手に入れました。価格変動はあまりないと思いますのでご心配なく。