乃木坂46の一期生メンバー若月佑美は惜しまれつつも退団したのはまだ記憶に新しい。
最後の卒業セレモニーでは、若様軍団員3期生のメンバーたちがなみだをこらえて若月を送り出した。
団長である若月佑美を含めたった4人のユニットではあるけれど、その威力は絶大で乃木坂の他メンバーたちもサポートしてくれていたから、まさに乃木坂46の主役といっていいんじゃないかな。
若月佑美の何が凄いかっていうと、芸術含め色々な才能が秀でていたり、カリスマ性があったりするんだけど一番すごいのは彼女の人望だろう。それを示す証拠に、卒業セレモニーでの若月に対する乃木坂メンバーたちの愛情が半端じゃないことが見てとれたのだ。
乃木坂卒業に関しては、その理由は色々あるようだが若月本人は嫌で退団したんじゃないし、乃木坂46への愛情はいまだ深いままだから後輩たちとの絆は固く結ばれたままだ。
本記事は団長若月と若様軍団との絆の深さなど再検証し、若月佑美の人間的魅力を改めてクローズアップしてみたい。
同時に、若月佑美というスーパーアイドルを生んだ静岡県富士市の実家がどのようなところだったのか知りたかったので、できるかぎり明らかにしてみようと努力してみた。
どうか最後までじっくり読み進んで欲しい。
若様軍団の絆
若様軍団とは、若月佑美の若の字をとった彼女の愛称である若様が軍団長となる組織のことだ。
組織なんて言っても堅苦しい集まりじゃない。若月と仲良しの後輩3期生3人とともに「かっこいい×面白い」をテーマにしてコミカルなことをやっちゃおうと2018年に結成しいたユニットだ。
乃木坂46の中には、ほかにもリーダー級のメンバーを先頭にした小ユニットが存在するが、若様軍団もそのひとつ。若様軍団は元気でアクティブなのが売りだった。なぜか?
若月と第3期生との交流の中で、若月の持ちネタである「お箸ネタ」を伝授しようと持ち掛けたが、ちょっぴり恥ずかしいネタのようで多くが嫌がったのだ。それを尻目に「やります!」「やりたい!」って志願したのが若様軍団のメンバーである山下美月、阪口珠美、梅澤美波だった。
それだからメンバーみんながポジティブで行動派だから乃木坂の小ユニットのなかでも活動力が群を抜いているのだった。そんな元気のいい3期生を率いる軍団長の若月佑美の性格は、実直で真面目、そして頑張り屋。それと仲間を家族同様に扱う親分肌なところ。
そんな若月を慕い、若様軍団の結束はどんどん強くなっていったのである。
これほどリーダーシップをとれるカリスマアイドル若月佑美は、いったいどのような環境で育ったのだろうか?
出身地の静岡県富士市にある実家とその周辺環境を調査したので、追って後述したいが、まず若月佑美の退団理由にスポットを当ててみよう。
若月の退団理由
ある日の若月佑美の写真に注目したい。
膝にぐるっとテーピングを施し痛々しい様子がうかがえる。これは一朝一夕に出た不調ではないようだ。
歌に加えて激しいダンスもこなす乃木坂46だから、ちょっとしたひねりなんかが重大なアクシデントに発展することも珍しい事ではないのだ。
根っからの頑張り屋さんである若月佑美は、ひねりなどで生じた少々の違和感は我慢しちゃうたちなのだろうか。そうした些細な見逃しが蓄積し、靭帯の疲労が損傷など大きなけがへ発展してしまうのが常だ。
退団を決意した時には、彼女の膝は限界に近かったのかもしれない。これが一つ目の理由。
二つ目は若月の天賦の才だ。
若月佑美は芸能活動のかたわら、2012年「第97回二科展」にデザイン部A部門で初入選するほどの画才があるのだが、驚くべきはその年以降、殆どの年で同じ二科展で入選を果たしていることである。
乃木坂46のイベントグッズのデザインも若月がいくつか手掛けており、その秀逸な意匠はファンの間でも好評なのだ。今現在は直接乃木坂の対談理由として画才の件が関わっている話は聞かないのだが、いずれ年齢を重ねてアイドル扱いから外れれば、おのずと画才が彼女自身の手助けとなるはずなのだ。
三つ目が役者としての才能。
若月の演技力は定評があり、既に退団後、テレビドラマにも活躍している様子から女優として本腰を入れる覚悟だと感じた。これが乃木坂退団の最も大きな理由だろう。
人の人生には幾つか大きなターニングポイントがあるが、若月佑美は怪我を機に役者へ転身する運命にあったのかもしれない。卒業セレモニーで若様軍団に熱い想いを注がれつつも、別れは避けられないと決心したことだろう。
おもえば富士市の実家を出たのが高校2年のときだから、それ以降現在まで第二の故郷は乃木坂46だったことになる。感慨もひとしおだろう。
若月佑美を育んだ故郷
さて、話は変わるがカリスマアイドル若月佑美を育てた静岡県富士市の実家とはどんな場所なのだろう?
調べて見たらそこは富士川町というところで、近年富士市と合併したのだが依然は独立した町だったようだ。
歌川広重の東海道五十三次に出てくる風光明媚なスポットなのだが、それは江戸の昔のはなし。
富士川町は、富士山の雪解け水を運ぶ雄大な富士川を挟んで形成される集落だが、そのたたずまいはのどかな田舎そのもののようだ。彼女の実家のあるエリアは若月性が何故か多く、彼らの先祖は一族を率いて村を形成した可能性がある。しかし画像などで見る限り、取りとめて特徴があるような場所ではなく平凡な田舎町である。
若月佑美の実家はというと、どうやら和菓子屋さんを経営しているらしい。
芸能人の実家がお店を経営しているパターンは意外と多いのだが、親たちの接客を身近で見ている子供というのは社交的でオープンな性格になりやすいと感じる。若月佑美もそうした家庭環境がプラスになったようだ。
若月は出身の小学校こそ地元の富士川第一小学校なのだが、中高は県庁所在地である静岡市の学校に通い、ここで美術の素養をはぐくむことになる。そして乃木坂46への参加が決まり東京の高校へ編入したわけだ。
こうしてみると、出身地の富士市に関わった期間は幼少期のいっときだけなのだが、真面目で元気でお絵描きが大好きなベースはこの時期養われたのかもしれない。
雄大な富士山を毎日眺めながら、将来の夢を思い描く少女の頃の若月佑美が何となく想像できるね。
画家を目指していたこの頃は、芸能界に入るなんて思ってもみなかっただろう。そして運命は二転三転し、怪我と年齢を考えて乃木坂46を卒業、そして女優の道にいそしみ、画家への道も再浮上してきた。
人間の運命なんてわからないものだ。しかも若月はいまだ26歳。たった26年の間でこれだけ紆余曲折を経験し全てが結果オーライなんて運が良すぎると思わないか?でもそれは若月の努力の結果なのだろう。
真面目な頑張り屋さんの若月佑美なら、これからどんな転機が訪れようともうまく乗り切ってゆくに違いない。
ファンの皆様にはどうかこれからも若月佑美を応援して頂けますよう切にお願いします。
エピローグ
静岡県富士市を実家に持つ芸能人を調べてみた。
あのドリフターズリーダーいかりや長介氏も富士市出身だ。活動ジャンルは違えども、超大物のコメディアンということもあり、若月はいかりや氏に続く富士の輝く星になったといえる。
そのほかにも女優の山本みどりや、記憶に新しいところじゃ戦場カメラマンの渡部陽一氏も富士市出身だ。
残念ながら現在はすっかり息をひそめ、メディアにも取り上げられることは無くなっていた。
超有名人のいかりや氏は既に他界され、元気のなくなっていた富士市出身タレントの中で期待できるのは若月佑美だけなのだ。
若様軍団を率いて元気を見せた頃は、ドリフターズの活躍さながらの人気ぶりだった。
残念ながら卒業セレモニーで惜しまれつつ幕を閉じたものの、女優の道ははじまったばかりだ。
そして二科展入選の才能を持つ画家としての人生も捨てがたく、将来の活躍が楽しみでならない。
多彩な顔を持つ若月佑美から目が離せないね。