小松菜奈はもともとモデルのかたわら女優を兼業するかたちで活動していたから、役者一辺倒ではなかった。
しかしある作品で海外デビューしたことから一躍注目が集まり、小松自身も女優業をメインに活動しようと決心したように感じる。
但し、初期の頃はモデル業のときのくせなのか、そっけない印象が演技にも見られてクールというよりも味気のない「モノトーン」な性質が見てとれた。
そんな小松菜奈だったが、昨今色々な作品に挑戦し続けたことで心境の変化もあり、徐々に味のある女優に変わりつつある、そんな風に映るのだ。
現在、小松菜奈をビジュアル的に印象づけるのは目だろう。それはメイクによってさらに強調されるのだが一体どのようなところを意識して作られているのだろうか?そして今後のイメージはどう変化するのか予測してみたい。
私生活では恋多き女ともいわれる小松菜奈の仕事の顔について追及してみようと思う。
小松菜奈のイメージ
笑っていないときは無表情が多い印象の小松菜奈。
これはおそらくモデル業を営む間に身についた習慣だ。すました顔でウオーキング、そしてポーズ。
小松菜奈のいささか高飛車な雰囲気は、こうしたファッション業界では定番のエッセンスだろう。
モデルさんの中では、その本質が大きく二つに別れるように思える。
ひとつはモデルの時とは正反対な気さくな明るさを持つ人、反対にモデルのビジュアルから受ける印象そのものの気高く人を寄せ付けないかのような孤高の人。
小松菜奈はどちらかというと後者に近い。彼女の抱く理想はあくまで高く、納得がゆくとか肌に合うとか彼女自身が合意する理由がない限り仕事は受けないような印象を持つ。
事実、テレビドラマは僅か4本程度に対し、映画の出演は17本と遥かに多い。
小松菜奈いわく「ドラマはドラマで好きなんですけど、映画は特別。出来ることなら映画でやってゆきたい。」
やんわり言っているけれど正直な印象はきっぱり映画だと言っているようなものだ。
ある意味わがままを貫く印象があるから、小松菜奈は映画しか出ないなどといわれてしまうのだろう。
しかし、そんなクールな印象も相まって小松菜奈独特のキャラクターは見る者を惹きつける。
色白の肌に長いまつげを持つ小松菜奈は、無表情なときはモノトーンなイメージだ。
本人も無意識にそれを感じてか、化粧に色をあまり使わない。ただし長いまつげは強調するように重厚なマスカラでボリュームを出している。
まるでフランス人形のようにすましているが氷のように冷たい表情を垣間見せる。
ときたま見せる笑顔もどことなく憂いを秘めていて物悲しい。こうした小松菜奈の人間臭くないところが逆にカリスマ性に近いものを感じさせスターダムに押し上げる要因なのだ。
昨今の変化
2014年の映画デビューは「渇き」というミステリー作品。
当時の小松菜奈にピッタリのミステリアスな役柄だったから、演技も圧巻だったし評価も高かった。
しかし小松菜奈本人は特別意識して演技をしていたわけではなかった。むしろ無意識。
それが証拠に「撮影後のインタビューでは何をこたえればいいのと思っていた。」ほどの手応えのなさだ。
役者根性的なものがなく、ただ好き嫌いで演技していたような感もあった彼女が、2017年ハリウッド映画「沈黙ーサイレンスー」に出演したあたりから心境が変わったのかもしれない。
「沈黙ーサイレンスー」は江戸時代初期を舞台に神と信仰をテーマとする映画で、ここでの小松菜奈は一変して感情むき出しの演技をする。夫が悲劇に遭遇するのを目の当たりにし、心を乱すシーンでは撮影が日没でカットにある際、激しく泣いて止まらなかったほどの感情移入だったという。
このとき若干19歳だったから大物の器といわざるを得ない。
そして翌年2018年には「渇き」の中島監督と再びタッグを組み演技の楽しさと苦しさの両方を体感しながら成長してゆくのだった。もはや以前のような無機質な感情やコメントはなく、小松自身演じることへの喜びを嚙みしめるような心境の変化が起きたのだった。
そのせいだろうか、小松菜奈のトレードマークともいえるパッツン前髪と目元を強調する特徴的なメイクも小松菜奈というキャラクターからは特別感じられる印象ではなくなってきたように思う。
それだけ女優としてのランクが上がったのかもしれない。女優はあくまで素材であり、脚本やあらすじなどの味付けでどうにも変れることが一流の証なのだ。見た目の固定観念は役者には妨げだろう。
今後の小松菜奈は七変化を見せる女優になってゆくはずだ。もっともっと人間臭い演技を見てみたい女優の一人である。
エピローグ
小松菜奈は映画が特別な存在で大好き。映画で勝負したいと公言してはばからない。
聞き手によっては映画しか出ないように聞こえてしまうが、これは彼女の本音と大差はないだろう。
しかし小松は昨今演技を重ねるにつれ、人間臭さを演じることの難しさと面白さがわかってきたように思う。
モデルで培ってきたクールで無表情な習慣は、女優業には不要であることを悟ったことだろう。
小松自身のビジュアルを生かしたモデル業なら特徴的なメイクも必要だが、変幻自在を目指す俳優業には固定的イメージは妨げにしかならない。
映画「沈黙ーサイレンスー」で一番評価が高かった俳優はイッセー尾形だった。
尾形の狡猾でずるがしこい役人の演技こそ、泥臭い人間の姿が良く表れており小松菜奈も大いに触発されたに違いない。感情むき出しの演技も、こうした先輩たちの姿を見て習ったところが大きいと感じる。
恋多き女優などと私的な面もある小松菜奈だが大いに結構。恋は演技の肥やしになるから。
仕事にも恋愛にもおおいに活躍して欲しい女優なのだ。