佐藤健の所属事務所「アミューズ」では、医療機関の支援目的、いわゆるチャリティーとして、若手俳優の募りライブイベントを開始した。俳優陣がアーティストとなって歌い踊る、名付けて「チーム・ハンサム」。
2020年には「チーム・ハンサム」によるライブも15周年を迎えるに至った。かれら若手俳優たちがリスペクト死て止まない存在こそ佐藤健そのひとなのだ。
いっこうに衰えない人気の「ハンサムライブ」はいったいいつまで続くのだろうか?今後の展望やいかに?
そしてこのライブ以外にも、色々な可能性をもとめて精力的に活動する佐藤健なのだが、一生懸命になり過ぎてけがや事故などの危険にさらされていることも忘れてはいけない。
印象に残る事故は、「るろうに剣心」で目に怪我を負ったことだろう。
特別後遺症みたいなものは起きていないようだが、こうしたアクションシーンを消化する佐藤健の凄さについて今一度振り返ってみたい。
佐藤健の知られざる能力をのぞき見してみようではないか。
「ハンサムライブ」の実態
発足した当時の志はアミューズの社長なのかどうかよくわからないが、俳優たちの中心に立つのは佐藤健に間違いない。
目的は医療に携わる人々のために何かお手伝いがしたい。設備も環境もスタッフ支援も含め資金協力ができればといった思惑が俳優ライブを生んだのだ。
もちろんお客様に対する日頃の感謝を込めたファン感謝祭であることに間違いはない。
普段は地味な役者活動(限られた空間でカメラを前に演技する)を実践する彼らだが、大勢のファンを前に歌って踊り歓声を浴びる快感はなかなか得られないものだったに違いない。
開催当初から反響は大きく、やる側も見る側もやみつき状態だったから必然的にこれまで継続できたのだ。
出演する俳優たちは名前の知れ渡ったスタアばかり。三浦春馬、神木隆之介をはじめ古関優太、松岡広大などアミューズ所属の旬な売れっ子たちだ。彼らはステージに立つことでお役さんと一体になれる素晴らしさを噛みしめ、ずっと続けていきたいと心から思っているようだ。
そんな「ハンサムライブ」15周年には、アミューズ社長自らステージに上がり、とうとう全国ツアーをほのめかした!熱いぜアミューズ。
首都圏の名だたるライブ会場はもちろんのこと、日本全国津々浦々まで俳優アーティストが席巻しちゃう様は圧巻だろう。タレント事務所としてこれだけ大規模なライブを、一押しの活動として取り上げるのはおそらく前例がないのでかないか。
筆者はこのアミューズ社長の理解力と行動力があっての賜物と感服する。
同時に、こうした若手俳優を束ねて統率する佐藤健その人の存在感にも圧倒されるのだ。
近年は多忙ゆえになかなか自らステージに立つことが難しくなってきた佐藤健だが、彼が若手に尊敬される背景には、何事にも恐れず立ち向かう勇気がお手本となっているに違いない。
立ちはだかる困難を目前にしても、その先にある何かを極めたい探求心は、俳優として本当に旺盛だと佐藤健を見てつくづく思うことだ。
しかし、そんな佐藤健が熱心のあまりアクションシーンで目に怪我を負ってしまった。その時の様子を振り返ってみたい。
過激なアクション
「るろうに剣心」をご覧頂ければわかるように、アニメの原作さながら殺陣の動きは素早い移動と切り合いの連続だが、剣心役の殺陣はスタントマンを使わず佐藤健本人がすべてこなしている。
「るろうに剣心」のクランクインに入る直前に、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で岡田以蔵(人斬り以蔵)役が先に決まってしまった。
これにより「るろうに剣心」で佐藤は遅れて撮影に入るのだが、人斬り以蔵役はるろうに剣心と非常に近いキャラクターなので、映画撮影に入るにあたり大河ドラマの経験が大いに役立ったはずだ。
そうした経緯で慣れ始めたキャラクターに油断が生じたかもしれない。いや、危ないと心構えしても、激しく高速なアクションの連続は危険を察知することが困難だったのだろう。
共演の福山雅治が佐藤健の師匠役で、秘伝の剣を伝授するくだりがある。この一連のシーンで事故が起きた。
福山いわく「私の剣さばきが未熟ゆえにけがをさせてしまった。」というが、慎重な福山雅治とて避けられない危険なシーンが存在したという証拠だろう。
「みんな死なずに生き残れるのだろうかという不安と戦っていた。大きなけがや失明などの恐怖は常にあった。」
佐藤健の正直な感想だろう。この失明の恐怖こそ、福山との殺陣シーンにあったことは間違いない。
しかしこうした受難を乗り越えて完成した「るろうに剣心」の出来は満足できるものであり、佐藤健自身やり遂げた喜びに充実感をおぼえ、さらに映画を鑑賞したおりも満足感に浸れたという。
アミューズ主催のハンサムライブがいつまでも続くのは、佐藤健が目に怪我を負ってもなお闘い続けその先にある栄光をつかみ取ろうとする姿勢に若手が共感している証なのだ。
エピローグ
佐藤健は純真な心の持ち主だ。
もともと深津絵里に憧れて、彼女と同じ所属事務所アミューズを選んだのははじまりだった。
そして17歳で出演した「仮面ライダー電王」がアクション俳優としてのきっかけとなったが、痩せ型の体形で無理をしたせいもあり肺気胸をわずらってしまった。
今からすれば佐藤健には、多少の困難にも臆せずやり始めたらとことん貫く姿勢は既に根付いていたのだと感じる。
それにしても目に怪我を負っても、死ぬ恐怖をかんじてもなお突き進む勇気は尊敬に値する。
彼を慕う若手アミューズ俳優たちは、これからもいつまでもハンサムライブを続けてゆくに違いない。