小泉今日子の初プロデュース映画「ソワレ」がまもなく封切だ。
和歌山でロケしたこの映画は名所道成寺にまつわる「安珍清姫伝説」を取り入れているというが、この清姫そのものが小泉今日子なのか、清姫が小泉今日子に乗り移ったのか。
昨今の彼女を見ているとこの映画との因果なつながりを考えざるを得なくなってしまうのだ。
何を言いたいのかって?まあまあそう焦らずにじっくり読んで行ってくださいな。
ついでに小泉今日子の曲で、結婚式で歌われるナンバーワンソングがあるそうだ。その歌詞について調べたら、あららこれまた小泉今日子の今を彷彿させる歌詞ではありませんか!
やることなすこと因果な結びつきを見せちゃう小泉今日子の話題から目が離せないじゃん。
さあさあ続きをごろうじろ。
初プロデュースした映画
2019年、俳優豊原功補、映画監督外山文治とともに立ち上げた制作会社「新世界合同社」で作り上げた第一弾の映画「ソワレ」がようやく封切となる。
和歌山をロケ地としたこの映画は、外山監督がこたわりをもって名所道成寺にまつわる「安珍清姫伝説」を織り交ぜた、若き男女の逃避行物語である。
安珍清姫伝説とは、思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すストーリーだ。
勘のいい読者様ならピーンときたかもしれないが、安珍は俳優豊原功補にオーバーラップする。もちろん清姫は小泉今日子だ。
2018年1月、小泉今日子は豊原功補との不倫事実を公表した。豊原功補は家庭をもっているが既に別居状態が3年ほど続いていたらしい。それでも結婚とか、交際宣言とかけじめの部分で何もない事に業を煮やした小泉は蛇の如く怒りをあらわにし、豊原の家庭ごと焼き尽くすかの暴挙に出たのである。
あー、こわやこわや。女も52歳で失うものもないとなると、これほどまでに大胆でわがままな行動に出るのかと思わず青ざめてしまった。
話はさかのぼるが、この「新世界合同会社」は2015年に前述の二人と共に小泉今日子が立ち上げたが制作会社だ。つまり共同事業者を小泉今日子は食べちゃったのである。
小泉今日子はこうした大胆な行動を今までも見せているが、その計画性は緻密でしたたかだ。
前準備として「新世界合同会社」を興しておいて、軌道に乗ると見るや2018年1月でデビューから36年お世話になった所属事務所「バーニングプロダクション」を退社し不倫事実を翌日公表している。
つまり、新たに起こした独立会社で毎日不倫相手と仕事をしながら過ごせるという都合のいいライフスタイルを実現したのだ!あったまいいねー。
しかし、不倫相手の豊原功補が既に奥さんと別居状態とはいえ、相手の家庭にまで被害が及びかねない前触れないしのマスコミ公表は、小泉今日子が少々配慮に足りないのではと思えた。
反面、そうさせた背景には豊原の煮え切らぬ態度に対する小泉の不満の現われがあったかもしれない。そう、まさに清姫の霊が小泉に乗り移ったかのようである。
さあ、ここで小泉が歌う結婚式の曲が出てきたぞ。この歌詞がまた意味深だったのだ。
小泉今日子の結婚式の曲
小泉今日子が俳優中井貴一とデュエットしている「T字路」って曲が結婚式で歌われるナンバーワンに選ばれたことがあるようだ。しかし、この曲の歌詞を見直してみると妙に小泉今日子の今を反映しているようで因果を感じてしまうのだ。
その歌詞の問題部分はこうである。
(冒頭)大人げないままこんな大人になりました。将来のちょっと先のT字路に立っています。
(中略)良かれと思ったことが裏目に出てばかり。きっとそれも個性。よく言えば世界遺産。
解説しよう。確かに大人げない不倫宣言をして独立をしたが、そのすぐ先の岐路に立たされているのはまさにどんぴしゃだ。
2年の女優休業を発表して映画制作側に立っているのだが、実績を残せるかどうかの正念場だ。プロデューサーとして実績が残せなきゃ歯に衣着せぬ世論の思うつぼだし豊原功補との関係もやり玉にあがるだろう。さらに女優復帰も批判の対象になるのだ。
思い切った小泉今日子の行動も裏目に出るかも知れない。きっと個性の意味は性分だから仕方がないって意味だろう。よく言えば世界遺産、悪く言えばおめでたいわたし、くらいの意味だろうか?
和歌山でロケした映画といい、中井貴一と歌った結婚式の曲といい小泉今日子の大胆な暴挙を彷彿とさせるような因果な結びつきがある。
小泉今日子の独立が吉と出るか凶と出るか、彼女の動向から目が離せないことだけは確かなようだ。
エピローグ
小泉今日子の性格は、用意周到でしたたかだが起こす行動は大胆であり時に蛇のような執念を感じる。
前もって立ち上げた独立会社には、想いを寄せた豊原功補を共同出資者として巻き込んでいるし計画通り彼を手に入れたは良いが、彼の煮え切らない態度に業を煮やした小泉今日子は非常手段に訴えた。不倫公表だ。
しかしこの公表のあとの身の振り方も先手で考えていて、女優休業の逃げ道を用意していた。
マスコミ批判を交わす手段だ。頭がいい!しかし、そう思うようにことが運ぶかといえばなかなか難しかろう。
だって、小泉の映画のプロデューサーはほぼ経験がないのだ。その転ばぬ先の杖が共同出資者の映画監督外山文治氏の存在だろうが世論は決して甘くない。小泉自身の実力がどこにあるのかみんな見ているのだ。ごまかしはきかない。
プロデューサー業が失敗すれば女優復帰しても人気が戻るとは断言できないし、場合によっては彼氏の豊原功補も失う危険がある。
それでも自由を選んだ52歳の小泉今日子の英断に賛辞を贈ろう。
すこしわがままだが勇気は認める。いい映画を作っていい恋愛を全うしておくれ。