「モデルは物じゃない。女性は性の道具じゃない。」水原希子がまるでジャンヌダルクにでもなったかのようなコメントをインスタグラムに載せた。
発端は、別の女性モデルがカメラマンを相手取って苦情を訴えたことに賛同したものだったが、あろうことか過去自身の身に起きた(セクハラ?パワハラ?)問題を便乗するかのごとく暴露したのだった。相手はあの有名な化粧品会社資生堂だ。
果たしてこの暴露した問題の事実は本当のところ何が正しいのかよく分からない。真実を断定することすら今となっては出来ない。しかし、おそらく水原希子と資生堂のあいだの信頼関係は揺らぎ、もはや修復は出来ないだろうと噂されている。
筆者も読者のみなさんも真実が知りたいのだが結論付けることは難しい。しかし、断片的事実はパズルピースの如く存在する。
それらをつなぎ合わせてゆくと、水原希子というタレントの輪郭が浮かび上がってくるじゃありませんか!
なるほど、そういうことか!と納得して頂くためにその事実のパズルを繋げて行きたいと思う。読者のみなさんもどうかコナン君のように想像力を働かせて欲しいな。
最初のパズルピース
発端は先に述べた別の女性モデルの訴えだった。
事実関係は不明だが、相手のカメラマンはあの有名な荒木経惟氏だ。女性モデルは荒木氏に対して、ノーギャラ撮影とか色々苦情があるようだがこうした訴状は双方の意見を聞き事実関係を確かめないとどちらが正しいかは言えないだろう。
しかし、水原希子はこの女性モデルの訴えに賛同して「モデルは物じゃない。女性は性の道具じゃない。」と言い放った。そのついでといっては何だが、水原自身も資生堂の撮影仕事の際に、先の荒木氏がカメラマンを務めたのだが、その周囲に大勢の関係ない人まで水原の上半身裸の撮影に集まってきたという。
ここで資生堂側の言い分だ。先ずは企業としての大人対応のコメントがあった。
資生堂社内で内部調査を実施したが、訴えられた事実は判明しなかった、という。
これは公式のコメントだが、本来ならもっと憤慨していいようなコメントを残してもおかしくないと関係者は言っているようだ。
それは、撮影に関して関係ないスタッフはその場に一人もいなかった。つまり全てのスタッフが撮影に関係している人だったのだという。しかも男性ばかりではなく女性も含まれていた。
水原の意見と撮影関係筋の意見は正反対だ。そこで疑問なのは水原希子が関係ない人たちと断言した撮影スタッフは本当に関係ない人たちだったと裏付ける根拠があったかということだ。
かたや大勢の撮影スタッフは男性女性を問わず全て必要な人員であったとする訴えの方が信憑性が感じられる。
つまり、断定はできないけれど、インスタで水原希子の訴える内容は感情が先走っている様にも思え、「関係ない人たち」の根拠に欠ける感じがするのだ。
水原希子がまだ無名に近いときに、資生堂は彼女と契約を結びスタアとして育てる一翼を担ってきたことは事実だろう。そうした恩義を感じることが出来たなら、軽率にインスタ批判などは出来ないはずだ。
訴状に繋がるパズルピース
水原希子がインスタで資生堂問題を訴えたのが2018年。
くしくもこの年は、美容家電のモデルに登用されたことや、かの有名ブランド「ディオール」のビューティー・アジア・アンバサダーに就任が決定した年だ。
水原希子にとってはまさに幸運といっていいサプライズばかりだが、裏を返せば永年契約を交わしいてきた資生堂と再契約しなくても、仕事に困ることは無くなったことも事実だろう。
水原希子がインスタで過去の撮影時の出来事を暴露した裏にはこうしたバックボーンが存在したのである。訴えに踏み切った背景がつながったようだ。要はスポンサー鞍替えの無情な行為と思えるのだ。
矛盾する希子の主張
2017年に水原希子の事務所解雇という噂が広まった。
事務所側は真っ向から否定した。しかし、事実として2018年にはOFFICE KIKOという個人事務所を立ち上げて水原希子は独立している。つまり、事務所は解雇は否定しても、彼女に手を焼いていたことは想像に難くないということだ。
その理由は、インスタやツイッターに過激な写真をアップすることが多発したからだ。手で胸を隠すノーブラ写真や、トイレの便座にTシャツ一枚で座る下品な写真、果ては乳首が見えてしまうようなものまでアップする始末。
これに関して、某バラエティー番組で水原は「ちょっと乳首がみえているのもオシャレ」などと言い放ったのだ。資生堂をインスタで批判した正当性に欠けるじゃないか!矛盾していると誰もが思うはずだ。
それだけではない。所属事務所が手を焼く理由は海外批判的なものもある。中国の現代美術家が天安門広場で中指を立てている写真に「いいね」を押したのだ。当然、所属事務所は謝罪と火消しに追われることとなった。
全てを繋げて見ると
これまでの事実をひとつずつ繋げて見よう。
資生堂撮影について、水原希子の主張する訴えは、資生堂や撮影スタッフ側と真っ向から意見が食い違う。撮影スタッフ側は全ての立会人が必要不可欠な現場スタッフであるという。撮影という仕事を視点にすると撮影スタッフ側の意見の方が分がある。
水原希子の主張は、大勢に取り囲まれたその場の雰囲気を自分なりに感じ取り被害者意識を勝手に感じていたように感じる。しかもその感情は、その場限りの場当たり的なものでしかないようにも感じる。
理由は、その後のインスタやツイッターでの過激な写真の数々。そして軽率な他国への介入だ。
つまり、結果として資生堂批判は利己的で根拠に欠ける訴えであること。しかもその背景にはしたたかな金勘定が見え隠れしていること。そして、そもそも訴えてきたセクハラ、パワハラ的な内容が、彼女自身の破廉恥な写真掲載からして正当性に欠けること。これが世論の大勢を占めると思われる。
はっきり言おう。筆者は水原希子が好きでも嫌いでもない。しかし、インスタで資生堂を批判するのは間違っているように感じる。理由はセクハラやパワハラを受けたかの如く言っている自分自身が、インスタやツイッターで同じことをやっているからだ。
結果として、日本で批判の嵐を浴びてしまった水原希子は、活動の場を海外に変更しつつあるようだが、歪んだ考え方を正さないとどこへ行っても結果は同じだろう。
筆者のコラムは芸能人に対して出来るだけ応援したい気持ちでメッセージを送るのだが、彼女に限っては違ってしまった。
残念だが、水原希子に限らず誰しもが、人の道に外れる行為を取れば、自分に跳ね返ってくることをよくよくよくよく念頭に置いて行動するのがよろしいと思う。
人間は過ちを犯す動物といわれる。だから、反省さえあればやり直しは利くということなのだ。
水原希子にも応援のエールを送りたい。だから過ちを素直に認めてもう一度日本で頑張って欲しいと願うのだ。
フィナーレ
水原希子は残念だが好感度が下がってしまった。世論がそう言っているのだ。
いっときの感情や思いつきでインスタを利用して批判や中傷、果ては破廉恥写真のアップなんかしたら記録はずっと残るものだから取り消すことは難しい。吐いた唾は吞めぬものなのだ。
永年の契約スポンサーである資生堂を敵に回してインスタ批判なんかしいたら築いてきた良好な関係は二度と戻らないのである。
水原希子は自身の個人事務所を立ち上げた。ここを拠点に海外オファーを受けて新天地を開拓するのもいいだろう。
しかし、人としての道に背いたら、辿り着く運命は自身に降りかかる背徳行為による衰退しかないのだ。
よくよく反省してこれからも芸能活動に邁進してほしいものだ。