江戸時代のトラベルウオッチは日時計だった!作りは簡素なのに贅を尽くした見栄っ張りの気質が面白い

2019年12月29日

江戸時代の旅人は基本歩いて移動しましたので、身軽であることが第一。

その為、最低限の必需品以外持たないように心がけていました。行李(こうり)と呼ばれる小さなカバンに無駄なく詰め込まれるトラベルグッズ。その中には、おおよその時刻を把握するための日時計も含まれていたはずです。

ひとことで日時計といっても装飾グレードはピンキリで、お金のない人は紙製のものを、金持ち商人などは贅沢品をこれ見よがしに持ち歩いていたようです。そんな見栄っ張りな様子が垣間見える当時のサンプルが手に入りましたので一緒に見てゆきましょう。

日時計の原理

日時計の原理につきましては、専門家による詳しい解説がたくさんあり、筆者のページではその原理を改めて解説する趣旨のものではないので、あくまでざっとご紹介するのに留めます。

日時計にも種類があり、江戸時代一般的に使われたのは一番簡単な構造のコマ型日時計という種類になります。構造的には包囲磁石と、中央に棒を立てた文字盤がセットになっているのが一般的です。

方位磁石で南北が揃う方向を探し、文字盤を天にかざします。太陽光によって棒の影が生まれ文字盤を指しますのでその位置が時刻となります。季節によって影の位置は変わるため(緯度が変わるので)、文字盤の角度を変えなければなりません(文字盤の角度を変えることで常に北極の方向を指すよう調整することだそうです。)

難しい話はこのへんで止めて、当時実際に使われた見栄っ張り道具のコマ型日時計を見てみましょう。

江戸時代の携帯日時計

江戸時代に広く使われた日時計は、その価格帯によって時計構造が変わるわけではありません。

先に申し上げましたように、方位磁石と棒の付いた文字盤がセットになっているだけです。但し、季節による文字盤の傾き調整が簡単に位置合わせできるかどうかは価格によってやや優劣が生じるのではと思われます。

では、文字盤の傾き調整がどのように行われるのか、筆者が入手したコマ型日時計を見れば詳しく分かりますので紹介します(下記画像の日時計が筆者のものですが、およそ5,000円で入手しました。)

これは昨年(2018年)古掛け時計を求め行きつけの地元骨董市に出向いた際、店主に勧められて買ったものです。

夏至の時、文字盤を水平に一番近い位置(画像左側の一番左の溝)に、冬至では文字盤を垂直に一番近い位置(画像左側の一番右の溝)にストッパーを合わせます。

ストッパーは文字盤の背後にあり、文字盤を傾ける際、季節ごとに彫られた固定溝に差し込みます。

この溝は、本体に14個彫られており、夏至と冬至の間で移り変わる季節の呼び名が書かれています。この溝に従って文字盤を傾ければ、その季節のおおよその時刻が読み取れます。

画像左側が季節ごとの溝。中央の文字盤を立てかけるためのもの。右は方位磁石。

筆者所有のコマ型日時計は、おおよそ中流階級か、またはそれより少し豊かな商人あたりが持っていたものと推察します。丁寧に書き込まれた文字が当時の入念作であることを物語っています。見栄っ張りの江戸庶民が飛びつきそうな作行きですね。

使用後は、水平に折りたたむことが出来、コンパクトに収納することが出来ます。

右側の文字盤は、十二支で時刻を表す。いっときが2時間なので24時間計である。
画像上の針の中心、子の刻は夜中23時から1時を指し、下側真ん中の午の刻は真昼11時から13時を指す
画像中心の上下の位置が南北をつなぐ線となり、日時計を設置する目安となる

この日時計の裏面には、作者の銘らしきものが入ります。

誇らしげに入る作者の銘。秀水さんの作ということか?

いかにも自信ありありで誇らしげに記入されているので作者としては納得のゆく作品だったのでしょう。入れ物である袋にも良い絹織物が使われています。

日時計は上質な絹織物の袋にいれて携行した。

日時計が使われる江戸時代のシーン

江戸時代では旅を急ぐ場合、おそらく関所の閉門時間を気にすることが多かったようで(関所が閉まれば野宿になるので)宿場町までどれくらいでたどり着くかが重要だったのでしょう。日の高いうちに日時計で現在時刻を把握して、日没までの残り時間でどこまで行けるか算段したことと思われます。

峠を登り切り、お茶屋で一服、ついでに日時計で時間を計る。隣に座った旅人にこれみよがしなアクションで取り出して見せる見栄っ張りなさまが目に浮かびます。

豪華な絹の袋から自慢げに漆塗りの磁石付き日時計を取り出し、煙管をくわえながらおひさまに日時計をかざす商人。横目でちらちら覗く旅人。

「たいそういい時計持ってるね。」テレビも携帯電話もない時代、日時計をきっかけに隣同士会話が始まるなんてことは江戸時代では当たり前のことだったと思います。

袖触れ合うも多少の縁の概念が、旅でも普通に働いたはずでしょうし昔の日本人の良いところだったと思います。そうしたシチュエーションも想定しながら旅支度をする人々が、自慢出来るものを携行したいと思う気持ちは十分理解できます。

凄いものだと、銀むくのケースにたくみな彫金が施されたものまであったそうですから見栄と自慢が目的で、お金持ちが贅を尽くしたのでしょうね。しかし、安物も高級品も日時計の原理は同じだというところが笑えます。

分かりやすく現代版に例えると、ダイヤ付きロレックス(百万円以上)もプラスティック製スウォッチ自動巻き廉価版(1万円)も同じ基本構造と言えば分かって頂けるでしょうか。

まとめ

江戸時代のトラベルウオッチはコマ型日時計であり、コンパクトに納まるサイズのものでした。

日時計の値段の上下で構造が変わるわけではありませんが、お金持ちが本体の材質や細工に凝り、そして入れ物の袋に贅を尽くしたものが多く、見栄を張ることと自慢するのが目的だったのではないかと筆者は思います。

なぜかと言いますと、煙草入れや印籠などの提げ物はあきらかにそうした目的で発達してきたグッズでありますし、同じ携行品である日時計も人目に触れることを想定したオーダーメイドが多数存在したことは想像に難くありません。

使用目的のひとつとして、関所の閉門時刻に間に合うように時間管理することが重要だったと思われますが、それ以外でも休憩の時間などでおもむろに取り出し自慢するステイタスシンボルでもあったと筆者は想像します。

日時計の作者が入念作に銘を入れる「どうだ、参ったか。俺の作だぞ。」これみよがしの自慢。使い手の粋なファッションアイテムとして見せびらかす自慢。江戸時代の携行品はみな、きらびやかな装飾を自慢する見栄っ張り庶民のための、芸術的要素を含んだ細工ものだと思わせる逸品でありました。