本当に小さな掛け時計だが真面目な逸品!実在する極小古掛け時計の真実を解き明かそう!

国産の古時計の生まれた時代は、櫓時計など江戸期は除くと、明治、大正、昭和初期におよそ限定されますが、今回は大正~昭和初期にかけて作られた一番小さな掛け時計をご紹介しましょう。

この極小時計は一体何のために作られたのか、どんな人が使用したのか、興味津々ではありませんか?ミニチュアだからって、おふざけ半分とかいうものじゃありませんよ。極小ながら大真面目な逸品であり、しかも現存する品物が殆どない希少品ですので一緒に見て行ってください。

筆者と極小時計の出会い…蚤の市での一部始終

2013年の秋だったと記憶しています。筆者が掛け時計を求め、いつも常連として通う某地方都市の蚤の市に出かけた際、馴染みのご主人のお店で、その極小時計は飾ってありました。

精工舎3インチ極小掛け時計。振り子式ではなく、
本体裏側に巻き鍵が存在する

普通のレギュラーサイズの掛け時計に交じってひと際目立つ極小時計がありました。よく見ると文字盤にはSEIKOSHAの文字があります。

「旦那さん、これってなーに?」初めて見る筆者にとって、これは掛け時計の感覚ではありませんでした。ミニチュアというよりむしろ、おもちゃ時計に思えたのです。旦那さんは言いました。「私も永くこの商売をやっているけど、これを扱ったのは2度目だよ。大正から昭和にかけての当時、一番小さな掛け時計。真面目な逸品だよ。」

文字盤中央下にSEIKOSHAの文字が入り、真面目な稼働品を証明する

丸型の極小時計ですが、ケースは寄木になっています。手に取ると、ケースの後ろにゼンマイの鍵がありこれが動力のようです。旦那さんがそれを巻くと心地よい音を立てて動き始めました。

筆者の指の先にあるのが巻き鍵。その下の黒いつまみは針の回転軸

「日巻だよ。珍品。3万円でいいよ。」旦那さんが提示したお値段は予想に反し高額でした。イタタ、これはふところが痛いぞ。普通の古時計より高いな。どうしよう、でも気になる。珍品なら尚更です。ちなみに日巻時計とは、いっぱい巻いても一日分しか動かない種類の時計のことです。

筆者が指で挟んだ状態をご覧になって、いかに小さいかお解り頂けるだろうか

「旦那さん、お願い。少しお安くして、ね。」筆者が言うと、旦那さんは笑顔で言いました。「あんたなら常連だし、おまけして2万5千でどうだい?」お互い気心も知れた間柄です。旦那さんも商売。筆者もある程度譲歩しなければいけません。「じゃあ、それでお願いします。」交渉成立です。

こうして我が家の一員となった極めて小さな逸品時計。帰宅後、文献を探索し謎解きを始めました。

詳しい資料がない?

この小さく真面目な逸品時計の詳細を知るために、雑誌、時計関連の本、写真集など色々探しました(骨董雑誌「緑青」や明治大正 古掛時計図鑑など)でも同じものが見当たりません。振り子時計の形をした3インチ文字盤の時計は、「緑青」の写真記事にはありましたが、丸型極小時計については見当たらないのです。

このような、極めて小さな時計の資料本は豊富にあるわけではありません。どこかの文献に掲載されている可能性はあるかもしれませんが、筆者が可能な限り行った捜索もむなしく見つかりませんでした。また、捜す中で気づいたことですが、日本の時計メーカーの資料は本当に少ないというのが実感でした。

意外なところに

この極めて小さな時計の調査を諦めかけたある日、インターネットの古典時計協会の集会記録で紹介されたサンプルに同じものが出てきたのです。詳しい説明はなかったのですが、昭和初期の珍しい3インチ寄木とありました。

こうした立派な専門的会合で紹介されたとすると、やはり珍しく真面目な逸品なのだと納得した次第です。

筆者の想像と推論

大正から昭和にかけての昔、子供は大人のお手伝いを日課として親から任されていました。その多くが時計を巻く係です。時計を巻くこと、時刻を合わせることによって時間を大事にしなさい、無駄に生きるなという教訓をも与えていたのではと思います。

この小さいけれども真面目な時計は日巻であることから、毎日巻き、時刻を合わせることを日課として子供に与えるための時計ではなかったかと思うのです。

しかしながら大正当時、この小さな時計は大変高価な逸品であり、ましてや子供用に用意できるというのは相当裕福な家庭ではなかったかと思うのです。

まだまだ時計自体が貴重品だった大正~昭和にかけて使われたこの小さな時計はとても大事に使われたでしょうし、同時に戦前戦後の甘酸っぱい思い出、悲しい辛い思い出も背負ってきたんだなとしみじみ感傷にふける筆者でありました。

持ち主の方がご健在ならば、思い出に溢れた真面目な逸品に間違いないでしょう。

まとめ

偶然出会った小さな時計は珍品で真面目な逸品でありました。ちょっぴり高価でしたが思い切って購入しました。

出自を調べようと文献を探りましたがなかなか見つかりません。そんな時古典時計協会の集会で紹介されていたのを発見。昭和初期の3インチ寄木時計と判明しました。

筆者の想像ですが、この極めて小さな時計は、子供に時の大切さを学ばせる真面目な時計であったのかなと推察します。贅沢品であり珍品でもあります。時を経て太平洋戦争も経験したでしょう。

持ち主にとっては喜怒哀楽を共にしてきた相棒と呼べる存在であったと確信します。極小でありながら未だ現存し稼働する、その奇跡に筆者は感謝と喜びを感じているのであります。

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