去る2018年11月のこと。女優黒木華が写真週刊誌「FRIDAY」に撮られた写真が注目を浴びた。
決してゴシップ記事でも何でもないのだ。それなのにスキャンダル志向の同誌がわざわざ押さえた画像は、記事を見るお客さんを満足させるだけの価値を有するものだった。
何故ならそれは、彼女の私服が衝撃的であったからである。そう、従来我々が抱く黒木華のイメージとは全くかけ離れたいでたちだったのだ。
芸能人のファッションはしばしばカタログ的な役割を果たすが、黒木華のこの夜のいでたちについてファッションブランド等詳細な情報を得るべく探りを入れてみた。
興味のある読者諸氏は引き続き読み進んで頂きたい。
黒木華という生きるマネキンが、見る者を魅了する衣装の数々。先ずはご覧あれ。
盗撮されたプライベートな衣装
場所は深夜の中目黒。駅近くの商店街を、お酒が入った様子で仲良く歩く二人の女性。
ひとりは女優の吉田羊、もうひとりが黒木華だ。
吉田羊の方はこげ茶の上着に黒っぽい抑えめの衣装。ただでも目立つ芸能人だから控えめの色合いで固めたい心情は理解できる。
一方の黒木華だが、吉田とは対照的に蛍光を帯びた黄色いTシャツ、パンツは腰の深めのジーンズでおへその位置まで上げて穿いている。頭には茶色の帽子をかぶり、シルバーフレームの丸メガネを着用。右肩に掛けたカバンは鮮やかな水色と白のストライプカラーであり、いかにも私はスタアよといわんばかりのいでたちだ。
上着こそ黒だが、これはTシャツの黄色を引き立てるための計算されたコントラストだ。全体的なコーディネートから受ける印象は、堂々とした自己主張だ。
写真週刊誌「FRIDAY」ですら特別なゴシップなしで写真のみをネタに掲載するくらい目立つ存在に映ったのだろう。
ここまで色鮮やかに見せられると、思わず真似したい、服のブランドはどこ?なんて気持ちもはやってしまう女子も多いかと思う。
衣装のブランド
先に謝ってしまうが、黒木華のこのいでたちについてブランドはどこか色々調査してはみたが、はっきりわかる材料はなかった。期待してくれた読者の皆さんごめんなさい。
ただし、それほど多くのメーカーがこうしたTシャツや腰の深いジーンズを扱っている表れであり、むしろ全体的なコーディネートに注目して頂きたいショットだと感じる。
筆者が感じたままの総評は、一言でいうと「計算し尽された洗練」というべきか。
計算しつくされたという意味は、黒木華自身が己をよく知っていて、自分にに似合った色と衣装の組み合わせパターンを自在に操るすべを知っていることを指す。
そのうえで、盗撮されることを恐れることなく夜の街を颯爽と闊歩することこそ洗練された着こなしといえよう。
では、盗撮された画像以外での黒木華の衣装はどうなのか?
資料を探り出して考察してみた。
黒木華の変幻自在
プライベートな私服ではないが、お仕事の衣装で着こなす水玉のワンピースはアクセントが効いている。何と白地ではなく黒地に白の玉模様だ。なんと妖艶な雰囲気を演出してくれる着こなしだろう。
ところが衣装を替えると途端にあどけない一面を見せる。タンクトップ姿がそれだ。
大人びた愛らしさも同居した幼さが感じられるショットである。恐るべし、黒木華!
黒木華の魅力
今回は衣装の着こなしや、その姿から受ける印象について語ってきたが、この女優が色々な衣装を着こなせる理由を考察してみた。
先ず一つ目は色白の肌だ。鮮やかな原色やパステルカラーは良く映える肌色だ。色白の憎いところはダークカラーも良く映える。だから得なのだ。いってみればマルチカラー対応ともいえる。
そして二つ目は「昭和顔」といわれる地味目な顔立ちだ。決して美人じゃない。しかし、着こなしや髪型、そして表情で恐ろしく美しい女に変身する顔だ。反面、地味な脇役ではそこいらへんに落ちている石ころ程度の見栄えしかしない女に変るから不思議だ。
演出家や脚本家、その他の演劇関係者から聞こえてくる彼女への評価は高い。
それは単に演技力が高いだけではない。どんな役柄もこなす。変身できる。その表れの一端が衣装の着こなしなのだろう。
髪型ひとつとっても印象が全く違う。
耳の位置から下に、鎖骨のあたりまでくるくるっとカールした髪型は、トップスを斜めバックに流すと清潔感溢れる可憐な女性に変身して見せてくれる。
メガネ姿は一転して大人の女性を感じさせる。髪のカールを解いてしっとり感が漂う。
三つ目の理由、それは黒木華から感じる自己主張の強さだろう。衣装や髪型、色合いが変わろうとも臆することがない堂々としたアピール性だと感じるのだ。
それは、雑誌「FRIDAY」に載せられても一向に動じることがない彼女のしっかりした魂の体幹にある。つまり24時間どこにいても動じない女優魂ってことなのだ。
見られることも商売。ならば、衣服のブランドがどうこうというのを超越した自己主張こそ大事と解っているのだろう。
ここまでくれば立派だ。ブランドなんてちっぽけな意識は捨てている。黒木華自らがブランドなのだから、これに優る自己アピールはあり得ないのだ。
フィナーレ
スキャンダルがあるわけでもないのに、写真週刊誌に載る黒木華の衣装は奇抜に映った。
それは、彼女の普段の役柄からは想像できない派手さだったから。
しかし、黒木華はそれらを堂々と着こなしている。ある意味、自信たっぷりだ。
びっくりするのは、彼女が衣装を替えると全く別人に変ってしまうことだ。巷で評価が高い訳は、どんな役柄もこなせる真っ白な画用紙みたいな女優だからだ。
それはファッションにも共通した特性であり、着るもの、髪型、ちょっとした表情の違いで別人に変る。彼女自身もそれを楽しんでいる節がある。
フライデーに撮られるのも魅力が引き寄せた証拠だ。身に着ける衣装も、一点一点はどこにもある汎用品なのだが組み合わせと着こなしで自分カラーに仕立ててしまう。それが黒木華というブランドそのものなのだから。
読者の皆さんにも言いたい。
貴方自身がブランドになれば、ブランド品を追い求める必要はもはやありませんよ。