黒柳徹子はいくつになっても「窓際のトットちゃん」である。
幼少のころからほかの子供たちとは違い、必須習得科目でも、嫌なことなら徹底して見向きもしないような異端児だったようだ。
だから当時の教育者たちの目には、特別手に負えないはみ出し者と映ったに違いない。
しかし、それは完全に間違いだった。いや、当時の教育水準ではこのような個性を生かすことが出来なかっただけかもしれない。
黒柳徹子はそうした周囲の無理解のなかで、唯一理解ある教育者と出逢い、その人に見守られた教育環境のもと現在の彼女にみられる国際的行動力をはぐくむ礎を築くことになるのだ。
しかし、子供のころから培った好奇心と子供目線は、高齢になった今でもそのまんまなのである。
そんな黒柳徹子の本質を端的に表すエピソードがふたつある(本当はもっともっと多いのだが)。
ひとつは、ジャニーズグループの嵐に感化され泣いたこと。
ひとつは、イギリス王室のエリザベス女王とのマブダチのようなやりとりの物語だ。
それらから見えてくるものは、まぎれもなく黒柳徹子の愛されるわけそのものであった。
黒柳徹子の魅力っていったいなんだ?あらためて掘り下げて見たくなったので、この場を借りてご紹介しよう。
嵐に涙
2020年大晦日に活動休止を控えた嵐は、自身の看板番組「嵐にしやがれ」の最終回を直前の12月26日に放送。
ゲストはなんと黒柳徹子だった。黒柳は彼女が通算1万回のギネス記録を誇る「徹子の部屋」を今でも継続しており、呼ばれるゲストは完全にクロヤナギイズムに飲み込まれてしまう。
そう、マシンガンのように立て続けで放射される好奇心に満ちた質問に、「徹子の部屋」ゲストは引き込まれてしまうのだ。
もちろん、「徹子の部屋」は黒柳にとってホームであり、彼女の独壇場だからペースを握るホスト役だからだと理解できる。
しかし、「嵐にしやがれ」はアウェイだ。ホストは嵐であり黒柳徹子はあくまでゲストだから、ゲストの話題が当たり前。という常識をも覆しちゃうのがトットちゃんなのね。
冒頭ひとこと「お母さんの味は何ですか?」嵐一同「え?」ってなもんだ。
「自分の顔で好きなところはあります?」今までゲストからこんな質問はされたことがない嵐はタジタジ。
しかし当の黒柳にとっては意地悪とか意表をつくとかなどのきらいはない。全てが好奇心なのだ。
とうとう、嵐のメンバーの顔に角度をつけさせてひとりひとりのベストショットを決めちゃう始末。
でも黒柳徹子のことをみんなが好きだから何も言わないし、異議も唱えない。不思議な人だ。
黒柳徹子の最大の魅力、それは子供の純真さを捨てていないところ。純真な子供目線で、なぜ?どうして?の探求心の果てに、じゃあこうすればいいじゃんの結果を遂行しちゃうすごさがある。
つまり心が綺麗なのだ。そして臆病な大人にはない純粋な物事のとらえ方、挑戦心が世界を変えるまでに至っているのである。
ユニセフの活動が良い例だ。彼女が旗を振ることで後に続く大勢の有志たちが子供たちを救っている。
黒柳はとっても凄い人なのだが、本質はピュアーであるがゆえの行動結果が集大成となり実を結んだに違いない。そんな純粋な黒柳だから、純粋でひたむきなものに触れると思いもよらず感動し涙しちゃうのだ。
黒柳徹子は嵐のメンバー同士の絆に感動をしたようだった。
「あなた方のツアーに行く時のリハーサルの模様が入っているフィルムみたいなものが私のところに来たの。それ見たら、どういうわけだか涙が出て。本当よ。あなた方があんまりに仲よく、できないことがあっても誰かのせいにしないで全部一緒に、踊りなんかうまくいかなくても誰かが教えてあげたりとか。そういうのがずーっと見てたらなんて嵐っていいんだろうって思って。そしたらどういうわけか、涙がツーっと。」
言われた側の櫻井翔もこれを受けて逆感動。同時に嵐ファンの心も震えたようだ。なぜって?
黒柳徹子は、嵐ファンの心情「嵐に魅かれるわけ)を端的に代弁してくれたから。そして、嵐の綺麗な心根に感化され、黒柳自身の純真な部分が共振したのに違いない。
こうした愛すべきトットちゃんを前面に出したのは他のシーンでもあった。意外なエピソードではエリザベス女王との会話である。
エリザベス女王とフレンドリーに
イギリスの母とも称される偉大なる連邦王国元首、エリザベス女王が1975年に来日された折、パーティーに同席できた黒柳徹子は、事前にインタビューなどは控えるよう忠告されていたにもかかわらず、いともフレンドリーに話しかけちゃったのだ。
「日本にはテレビのチャンネルが七つあるけれど、イギリスは幾つなの?」ねえねえ教えてってトットちゃんイズムで問う黒柳徹子。
これを受けてエリザベス女王はぶっ飛んだ(正確にはティアラが揺れるほど驚いたようだ)。
「ス、スリー(み、みっつよ!」イギリス国家元首に対してこんな質問する大人が今までいただろうか?
女王は驚きと新鮮、そして好奇心がふつふつと湧き、最後にはお友達の雰囲気で和気あいあいだったとさ。
にわかに信じられない出来事だが、黒柳徹子の子供目線での好奇心は言葉を超えてイギリス女王にも伝わったという証しだろう。
嵐の仲間想いに涙したり、国賓に対しても貪欲なほど好奇心が旺盛だったりするのは、子供のまま大人になったジャーナリストという稀有な存在だったから。
黒柳徹子を嫌いという人を筆者はみたことがない。彼女は間違いなく世界中で愛されるキャラクターに違いないのだ。
エピローグ
黒柳徹子は単なる好奇心のかたまりじゃあない。その純粋な子供目線は物事を解決するに足る知恵も運んでくる。
そして彼女の持つ知恵の引き出しは多彩で、色んな知識が豊富なのだ。それらを駆使し世界を変える運動まで成果を出しちゃうすごさは、エリザベス女王を目の前にしても臆すことのないスケールの大きさからも窺えよう。
但し、黒柳徹子には野心のようなものはかけらも見当たらない。あるのはあくなき探求心と愛だけだ。
それを如実に物語ったのは「嵐にしやがれ」最終回のゲスト出演だろう。
嵐メンバーの絆に泣いた清らかな心は、幼いトットちゃんの魂がまんま宿っている証だ。
「徹子の部屋」はまだまだ続く。彼女の好奇心の限りを尽くしてゲストから本音を導き出してほしい。
これからもずっとね。